宮市亮の怪我の経歴まとめ!怪我しすぎの理由を考察

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「宮市亮のキャリアってどれだけ大変だったのかな?怪我の経歴ってどうなんだろう?」

疑問に思う方は多いのでないでしょうか。

宮市亮選手は高卒でプレミアの名門アーセナルと契約し、将来を期待されていました。

しかし、素晴らしい活躍を見せながらも、常に怪我に苦しんでいました。

今記事では、宮市亮の怪我の経歴について解説していきたいと思います。

何度も苦しいリハビリを乗り越えながら、昨年には10年ぶりに日本代表に選出されています。

宮市亮が怪我をしすぎる理由は何なのか?度重なる怪我をどのように乗り越えてきたのか?

宮市亮選手の人間性や強さも紐解いていきたいと思います!

「サッカーで怪我をしたり、2軍落ちをして試合に出れなくなった」「今靭帯を負傷して手術をしなければならない」といった悩みを抱えている方は、是非最後まで記事を読んでください。

宮市亮の怪我の経歴

宮市亮選手が過去にどんな怪我を負い、どれくらい負傷していた期間があったのか?

宮市亮の怪我の経歴を表にまとめてみました!

シーズン 所属チーム 怪我の内容 怪我の期間
2011年11月 アーセナル(イングランド) 左足首捻挫 約2か月
2012年4月 ボルトン・ワンダラーズ(イングランド) 右肩負傷 約1週間
2012年11月
ウィガン・アスレティック(イングランド)
右足首靭帯損傷 約4か月
2013年3月 右足首靭帯損傷 不明
2014年4月 トゥウェンテ(オランダ) 左ハムストリング損傷 不明
2015年7月
FCザンクトパウリ(ドイツ)
アキレス腱痛 不明
2015年7月 左膝前十字靭帯断裂 約1年間
2016年9月 右足肉離れ 約1か月
2016年10月 脳震盪 約3日~5日
2017年6月 右膝前十字靭帯断裂 約1年間
2018年4月 右膝前十字靭帯損傷 約3か月
2020年6月 内転筋損傷 約6か月

宮市亮選手はキャリアを通じて13回もの怪我をしており、スポーツ選手としてとても多い回数です。

さらに、13回の怪我のうち4回は「膝前十字靭帯断裂・損傷」という選手生命を終えてもおかしくない怪我を負っています。

常に怪我と隣り合わせのために、宮市選手はピッチに立てない日々が何度も続きました。

医師からも引退勧告を受け、もう辞めようと考えたことも何度もあったそうです。

 「何で自分だけ」「また怪我するのが怖い」と普通なら考えてしまいますよね。

しかし、宮市選手は何度怪我をしても乗り越えて、今もプロとしてピッチに立ち続けています。 

それは並大抵のことではないため、ネットでは彼のことを「不死鳥」と呼んで、リスペクトする方も多いようです。

宮市亮の怪我しすぎな理由を考察

宮市亮の怪我しすぎな理由を3つ考察しました

  • プレミアリーグのサッカーに合っていなかったから
  • 膝前十字靭帯の特性による影響
  • 宮市選手のプレースタイルは怪我を起こしやすい

前項の宮市亮の怪我の経歴から、怪我の理由が見えてきていう人も多いのではないでしょうか?

それでは3つの考察について、解説していきたいと思います。

プレミアリーグのサッカーに合っていなかったから

プレミアリーグのサッカーの特徴は、「ロングボールを用いたカウンターサッカー」です。

そのため、フィジカルが屈強な選手が多く、ボディコンタクトが激しい(怪我をする可能性が高い)プレーが多くなります。

宮市選手はスピードを活かしたプレースタイルのため、スピードが乗った状態で激しい当たりを受けると、怪我の可能性がさらに高まってしまうのです。

それに加えて、同じ箇所を何度か怪我しているため、その箇所が脆くなりやすく、再び怪我になるリスクがあります。   

膝前十字靭帯の特性による影響

皆さまは膝前十字靭帯の怪我がどのようにして起こるかご存じでしょうか?

膝前十字靭帯は、足の前後方向への力とねじる力をつかさどる膝の部分で、「走る・ジャンプする・方向転換をする」といった動作で負荷がかかります。

また、一度靭帯を断裂してしまうと、自然治癒は難しく、再発してしまう可能性も...。

特にサッカーは足を使うスポーツのため、怪我が再発する可能性が自然と高まってしまいます。

過去には日本代表の城彰二選手や小野伸二選手もこの怪我のために、思い通りのプレーができなくなったり、選手生命を縮めています。

宮市亮のプレースタイルは怪我を起こしやすい

宮市選手のプレースタイルも怪我に影響しています。

彼のプレースタイルはスピードを活かしたドリブルとそこからの切り返しやクロスを上げることです。

そのため、相手のタックルを受けたときの衝撃はより強くなりますし、先ほど述べた膝前十字靭帯を酷使することにつながります。

相手のタックルを受けた際に受け身をとることで怪我を防ぐこともできたかもしれませんが、宮市選手は苦手だったようです。

宮市亮は度重なる怪我をどのように乗り越えてきたのか?

宮市亮選手が怪我を乗り越えられてきたのには、3つの理由があります。

  • 周囲の声に力をもらった
  • 「チームの力になりたい」というメンタリティ
  • 良すぎる未来を考えず、一つ一つを確実にクリアしていく

それぞれの熱いエピソードについて、解説していきたいと思います!

周囲の声に力をもらった

まず、宮市選手が怪我を乗り越えるうえで欠かせない要素であったのが、「周囲からの熱いエール」でした。

彼自身が怪我をするたびにSNSを通じて、ファンやサッカー界の同僚や先輩、チームメイト
から沢山の声援をもらっていました。

その声援に応えるために宮市選手は日々ひたむきにリハビリを続け、ピッチに復活したのです。

チームの力になりたいというメンタリティ

宮市選手のひたむきな姿勢はチームそのものを動かします。

宮市選手が何度か怪我をして長期の離脱しても、FCザンクトパウリが契約を延長していたというのは有名なエピソードの1つですね。

たいてい怪我で長期間試合に出れない選手と契約し続けることはまずありません。

宮市選手はこうしたチームの姿勢やチームメイト、ファンの声援に感化され、「自分のキャリアだけでなく、チームのために頑張りたい」という気持ちに変わっていきました。

この気持ちを持って日々リハビリに取り組むことで、自然と怪我を乗り越えることができたそうです。

良すぎる未来を考えず、一つ一つを確実にクリアしていく

宮市選手曰く、リハビリは本当に地道な作業で、「こんなのやってられない」と思うことが何度もあったそうです。それをどのように乗り越えたのでしょうか?

それは「よすぎる未来を想像しない」「『やるしかないな』と前を向く」ということです。

普通のことに思えますが、この言葉の裏には宮市選手の深い思いがあります。

彼自身、若い頃は活躍したい思いが強かった一方で、怪我をしてどん底を味わう繰り返しでした。

こうした経験があるからこそ、現在は先のことを考えずにまず自身がどうすべきかを考えて行
動しているそうです。

今紹介した宮市選手の言葉「前を向く」は、彼の著書の題名(『それでも前を向く』)にもなっています。

彼がどのように怪我を乗り越えたのかがより詳細に書かれた本ですので、是非皆さんも読んでみてくださいね!

宮市亮の怪我の経歴!まとめ

宮市亮の壮絶な怪我の経歴を紹介していきました!

膝前十字靭帯断裂など選手生命が終わりかねない怪我を何度も負いながらも、それを乗り越え、自身のプレースタイルを貫いてきました。

その懸命な姿は人々の心を動かし、今でも根強い人気があります。

彼が怪我をしたとき、今と向き合い支えてくれた人や組織のために行動する精神は、私たちが困難に直面したときに大変参考になるものです。

2021年から宮市亮選手はJ1リーグの横浜Fマリノスに所属し、現在もプレーをしています。

5月25日には、ACLアジアチャンピオンズリーグの決勝を控えており、勝てばクラブ史上初のACL制覇となります!

宮市亮が決勝でチームの優勝に貢献する姿を見れることに期待ですね!

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